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温泉と歴史

由布院温泉

九州・大分県のほぼ中央、東経131度、北緯33度に位置し、豊後富士と称えられる由布岳の裾野に広がる温泉地です。
中心部の由布院盆地は、あちこちで温泉が湧く湯量豊富な土地で、朝霧の名所としても知られています。これは、盆地内の田畑はもちろん、周囲を囲む1000m級の山々など、緑豊かな自然の恩恵によるものです。

  • 泉 質 単純温泉ほか
  • 泉 温 41〜98℃
  • 効 能 神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、疲労回復など
  • P H 7.2〜9.6(中性、アルカリ性)
  • 湧出量 毎分約42kl(全国2位)
  • 源泉数 895箇所(全国2位)
地名の由来

約1300年ほど前の奈良時代に編纂された豊後風土記の中に、「柚富郷(ゆふごう)、郡の西に在り。この郷の中にタクの樹、多に生いたり。常にタクの皮を取りて以ちて木綿(ゆふ)に作れり。因りて柚富郷といふ」という記述がある。
(要約:当時この郷にタクの樹が多く野生していて、その皮を取って木綿を作ったので、それが郷名となった。)
平安時代には稲などの租税を収蔵する倉院が柚富郷に設置され、以来、ゆふの倉院、ゆふの院、ゆふ院と呼ばれるようになったといわれます。また、この頃の和妙抄(当時の漢和辞典のような書物)に由布郷とあり、この辺りが由布院という地名の起源といわれています。

明治時代の改革により、北由布村、南由布村、湯平村の三ヶ村に分かれる。
昭和11年、北由布村と南由布村が合併し由布院村となり、昭和23年の町制施行により由布院町へ。昭和30年には由布院町と湯平村が合併し、湯平の湯を取って湯布院町となりました。
平成17年、挟間町、庄内町との合併により由布市が誕生し、由布市湯布院町となりました。

歴史(伝説)

その昔、由布院盆地は周囲を山に囲まれた大きな湖であった。
ある日、霊峰由布岳の化神・宇奈岐日女が力自慢の権現をしたがえて山の上からジッとこの広大な湖を眺めていた。やがて日女が権現に向って、「この湖を干拓すれば、底に肥沃なる土地現れて、多くの民が豊かに暮らせよう。お前の力を以ってこの湖の堤を蹴り裂いてみよ」と命じた。権現は、「あらん限りの力を以ってお言葉のとおりに」と答え、湖の周囲を一巡りした後、湖壁の一番薄いところを見付け満身の力をふりしぼってそこを蹴り裂いた。
湖水は怒涛となって奔流し、やがて湖底から現在の盆地が現れた。
里人は宇奈岐日女を由布院開拓の祖として大きな社を建てそこに祀った。これが現在の宇奈岐日女神社である。堤を蹴り裂いた権現は川西地区の蹴裂権現社に祀られている。(御神体は大きな石) またこの時、湖の底に一匹の竜が棲んでいた。急に湖の水が減ったので神通力を失い、身をもだえながら由布山麓の岳本の地まで来てそこの天祖神に訴えた。「湖のすべては望みません。唯、この地に少しばかりの安住の地を与えて下さい。さすれば永くこの地を護りましょう。」
竜の願いは聞き入れられ、岳本の池が残された。その後、竜は再び神通力を得、雲を巻いて昇天した。
岳本の池は大きな池だったが、慶長の大地震で埋まり小さくなった。
明治時代、儒者・毛利空桑がこの地に遊び、魚の鱗が夕日に輝くのを見て、「金鱗湖」と名付けたのが現在の名称の起こりである。

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